佐々木六角氏とその家臣たちの城

2013年06月09日

近江(滋賀)には、これまで1300もの城が存在していた事が確認されています。(城館も含め)
これは全国でも屈指で、正に城の国と言っても過言ではなく、その多くは中世に築かれ特に山城が大半を占めます。

近江源氏・・・ (中世に近江国に土着し本拠とした源氏の流れを汲む一族の呼称)
鎌倉時代、近江の守護となった佐々木定綱の息子の信綱の子らが四家に分かれ・・・
六角氏、京極氏、大原氏、高島氏となります。(俗に言われる近江源氏の流れを汲む佐々木四家)

<佐々木四家の概略>
六角氏(居城 : 観音寺城) 佐々木家、嫡流となり蒲生郡安土(現、近江八幡市)を地盤とし近江南
                  部を勢力下に治める。
京極氏(居城 : 上平寺城) 現、米原市上平寺を地盤とし、近江北部に勢力を伸ばす。
高島氏(居城 : 清水山城) 近江西部に勢力を伸ばし戦国時代には分流の田中氏・朽木氏らと共に、
                  六角氏の傘下に入り...六角家滅亡の後は不明。
大原氏・・・(情報不足です...)kao08 戦国時代に入ると同族の京極家の圧迫を受け滅亡したとか・・・kao11

この中で、特に絶大な勢力を持っていたのが六角氏だと云われています。
  その絶大な勢力を裏付けとなるのが六角氏の居城、観音寺城を護衛する形で家臣団の居城が多
  く取り囲んでいる事です。
  又、その数の多さも驚きであり特徴ではないかと思います。

ここでは、六角氏を護衛する家臣団の居城の一例と主だった家臣を現在解っている範囲で紹介して行きます。

<家臣の城の一例>
  佐生城 (さそうじょう) 東近江市佐生町・五個荘日吉町  (城主・後藤氏) 後藤但馬守家
  箕作山城 (みつくりやまじょう) 東近江市山本町・五個荘清水鼻町 (城主不明 建部&吉田)? 
  小脇山城 (こわきやまじょう) 東近江市・旧八日市市・・・  
  布施山城 (ふせやまじょう)  東近江市・旧八日市市布施町  (城主・布施氏) 布施三河守家  
  大森城 (おおもりじょう)     東近江市・旧八日市市大森町? (城主・布施氏) 布施淡路守家
  長光寺城 (ちょうこうじじょう) 近江八幡市長光寺町・長福寺町・武佐町(佐々木四郎政尭・築城)
  目加田城 (めかたじょう)   愛知郡愛荘町目加田 ?
  和田山城 (わだやまじょう)  東近江市神郷町・五個荘和田町  (城主・和田氏)
  三雲城 (みくもじょう)     湖南市吉水字城山 (城主・三雲氏)重臣 甲賀五十三家のひとつ
  小堤城山城 (こづつみしろやまじょう) 野洲市小堤 
  鳥居平城 (とりいひらじょう) 蒲生郡日野町佐久良 (城主・??)
  北之庄城 (きたのしょじょう) 近江八幡市・北之庄&津田  <観音寺城の付城>
  水茎岡山城 (すいけいおかやまじょう) 近江八幡市・牧町  <湖上警固の為の支城>
                     (※ 以上などなどがありますが全てではありません。)

中でも特に特徴があるのが佐生城!!
この城の石垣は石積みのみではなく本格的な石垣となっていて観音寺城と類似している事から、観音寺城の出城と考えられています。
そして、この佐生城の城主は 後藤但馬守家 後藤氏 で単なる領主ではなく守備隊長と考えられています。
それと後藤氏は同じく家臣の進藤氏と合わせて・・・佐々木の双藤(ふたふじ)と呼ばれるそうです。

             参考(この後藤氏の居館・・・後藤館は県史跡となっています。)

                  ==========================

  観音寺騒動・・・
        この六角氏被官の後藤氏を六角善弼が謀殺します・・・
        これに反発した家臣は自領へ引き上げ、、、布施二家の本家筋にあたる布施三河守
        (布施山城の城主・布施氏)は、その頃、湖北で勢力を伸ばしていた浅井氏と呼応!!
        布施山城で反乱を起こします。

        結果、六角承禎・義弼は退去し蒲生氏(日野)の元へ退避します。。。
        結局は蒲生氏の調停により混乱は収拾されましたが六角氏は永禄十年(1567)に当
        主の権限を大幅に規制された六角氏式目を表す事を余儀なくされます。。。

                  ==========================

   この絶大な力を誇った六角氏も織田信長の近江侵攻の前に敢えなく破れ滅亡します・・・
    家臣たちの一族も信長に攻められ雲散霧散したらしいと云うのが大方の説で・・・詳しくは分か
    りません。
    六角氏の居城...安土に同じく安土城を築いた織田信長・・・地元の人々にとっては恐らく地元
    の英雄の様に思われている方も多いと思います。
    しかし地元の守護職でもあった六角氏と対比した場合,,,地元の方々はどう思われていて、
    どんな風に映っているのか興味があるところです。。。

      以上、未だ未だ不完全ではありますが概要だけを掻い摘んで記事にしてみました。icon22

      





Posted by Dream at 17:00│Comments(8)
この記事へのコメント
Dreamさん   こんばんは~♪
てのひら談話室 久々にお邪魔させて頂きました~m(__)m

いろいろ調べて下さったのですね~ペコリ
全然勉強してなくて、佐々木四家も知りませんでした~^^;
六角氏と京極氏の名前を知ってる程度です~(@_@;)

Dreamさんの記事で概要と家臣団の様子も少し分かりました。
先日プーちゃんの所で教えて頂き、後藤氏居宅跡の土塁を見に行ってきましたが
物言わぬ土塁に迫力を感じました!!次回は中を歩こうと思っています。
佐生城 後藤但馬守家 そのつもりで見て来ます!!

家臣の城も調べて頂き有り難うございます
中にはDreamさんに関係の城主もおられるのでは~?^^

随分前に講座の中に古道の話がありました。
よく犬の散歩に行った細道ですが、六角氏が三雲城に逃れる時にこの道を通ったと話されてました。
現在は道が拡張され僅かしか残っていません~^^;
三雲城には井戸が残っています!!

また教えて下さいね~m(__)m
Posted by パルパル at 2013年06月09日 23:11
Dreamさん おこんばんは~でおます。

凄い~良くご存知ですね。メモメモ~φ(..)でございまする(笑)
でも、知識不足のプーちゃんには、( ̄ー ̄)?うん?( ̄▽ ̄;)なんだって?のはてな?マークの部分も、多々あります。
歴史博物館講座なんかを聞きにいくと、もっと理解が深まるのでしょうね♪
ブログを始めた頃に、山城の第一任者の大学教授の解説付きで、観音寺城へ登った事があります。記事にはしておりませんが。。(笑) 佐生城自体を確認して来ま~す。

参考になる記事ありがとうございます(^-^)/
Posted by プーちゃん(PU-ちゃん)プーちゃん(PU-ちゃん) at 2013年06月09日 23:45
パルさん、こんばんは~♪

ウフッ...てのひら談話室・・・久々の更新です。(今年、初めて。。。)^^;
後藤氏居宅跡の土塁、迫力がありましたか・・・
もう一度、行かれるとの事で...この記事が少しでもお役に立てるなら嬉しい限りです。
戦国時代は特に色んな人間模様が複雑に絡み合ってる感じがして、なかなか理解するのが難しいと感じてます。(´ω`;)

六角氏は三雲城に逃れたのですか・・・Dreamは知らなかったので勉強になります。(^ω^)v
しかし、その細い古道...実際に歴史上の昔の人も通ったと思うと感慨のようなものも感じるので、そんな昔ながらの景色が失われて行くのは残念ですね!!

>Dreamに関係の城主・・・
実際には分からないのですが、家の先祖の出身地などを考えると、その流れの可能性もあるかなって思ってます。
自分は出来れば調べたいとは思っているのですが系図が残っている訳でもなく辿る術がない状態です。
(昔、家のの先祖の願い寺?があったらしく、そこに行けば何か手がかりのようなものが得られるかも知れないのですが寺の名前も分からなくて・・・(;´ω`) (笑)

では、後藤氏居宅跡へ気を付けて行ってらっしゃい~^^♪
   何か新発見があれば教えて下さいね~♪
    
Posted by DreamDream at 2013年06月10日 21:56
プー(PU-)ちゃん、こんばんは~♪

拙い記事ですが、少しは参考になりますか・・・
プーちゃんは歴史博物館の講座なんかを聞きに行かれる事もあるんですね~♪
なかなか勉強家ですね...さっすが、歴女プーちゃん!!(^ω^)v

あれっ、観音寺城のレポート記事、、、アップされてなかったっけ!!(*'ω'*)
確かプーちゃんのブログで見させて貰ったような気がしてるけど・・・Dream の勘違いかな?(・ω・;)?

佐生城も行かれますか~
後藤館と佐生城とは少し距離がありそうなんです。。。これが少し不思議なんですが・・・(笑)

いつもガイド付きで城跡など巡れたら良いですよねー
でも、もし行かれるのでしたら気を付けて~♪
では、又・・・^^♪
    
Posted by DreamDream at 2013年06月10日 23:51
最近、佐生城の家臣の末裔、と仰有っていたと思いますが、
の方に出会って、お話ししました。

京都から近江の地に住み着いて45年、
自然といい、歴史といい、
ホント興味深い処ですね。(*^_^*)
Posted by 夢想花夢想花 at 2013年08月26日 03:41
夢想花さん、こんばんは~♪

佐生城、家臣の末裔の方と会われお話されましたか~
最近、結構...先祖が〇〇の家臣同士(同僚?)だったとか言う話も耳に入って来るようになりました。
へぇ~って感じですかね。。。(笑)

夢想花さん、滋賀県人となられて45年ですか・・・
滋賀県は周囲が山に囲まれている盆地で(京都、奈良もそうですが)とりわけ比良や鈴鹿など山脈、連峰などがあり未だ未だ自然がいっぱい残っていますね!!
それに、此処にしかいない固有の希少な動植物も多いです。。。

歴史については・・・
私は滋賀生まれですが、私自身、青年の頃まで正直、滋賀って農村地帯で田舎やな~と思ってました。(笑)
しかし、近江は古代から他所より肥沃であるが故、農業が発展し遂には土豪国や王国を生み栄えてきたところである事が最近、解って来ました。
ですが、未だ文字などが確立されていなかった時代でもあり、その上に封印された歴史もあるようで不明な点も多くあり曖昧模糊な面は否めませんが・・・
おそらく、我が国の統治・政事は此処から始まった可能性が大で興味が尽きないところです。。。

で、夢想花さんに、もっともっと興味を持って頂ければ嬉しいです。ニコッ
コメントありがとう~御座います。^^♪
    
Posted by DreamDream at 2013年08月26日 19:52
はじめまして・・・
記載されました城郭、昨年、一昨年の2年間で全て踏査しました。

その中で、北の庄城は、築城時期・築城者など詳細は不明、信長により改修があったかも・・・と聞き及んでおります。

「観音寺城の付城」とされておられますが・・・もう少し詳しくご教示のほどよろしくお願い致します。
Posted by あきさんあきさん at 2014年03月21日 20:22
あきさん、こんばんは~♪

初めまして、ようこそご訪問頂き嬉しいです。^^
早速、あきさんのブログも拝見させて貰いました。。。
あきさんは随分、歴訪されているご様子で、流石に歴史にも精通されていますね~
当方、拙ブログに記載の城郭・城跡も全て踏査されたとの事、、、大変素晴らしく凄い事だと感服しています。

私は、それほど歴史に詳しい訳でもなく(興味はありますが・・・)この記事も...にわか勉強、にわか仕込みで書いたものです。
ご教示なんて・・・おこがましく、めっそうもありませんが...(´ω`;)

北の庄城はある書物に観音寺城の付城とありましたので、そのまま記事に載せたまでです。
(自分なりには付城とあれば何らかの役割を担った出張所のようなもので責任者となる城主の存在はあったものの特定の築城者はいないのではないかと思っています。)

お役に立てず申し訳ないですが、また新たな情報が得られればお伝えしますね。
お返事遅くなりペコリです。
また、これに懲りずに当方メインブログ(ドリーム・カム・トゥルー)にもお越しください。ヨロシクです。^^♪
     
Posted by DreamDream at 2014年03月24日 22:50
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